読書録(演芸編)

昭和の爆笑王-三遊亭歌笑
岡本和明著 新潮社 2010年

978-4-10-324532-5

 戦後の落語界の超売れっ子に成長し真打ちにも昇進した三遊亭歌笑こと高水治男が実家に戻ると親戚一統が歓迎幕を用意して待っていた。しかし子どもの頃,醜い顔のせいで同級生から仲間はずれにされたばかりではなく、母親を含めた身内からも疎外され続けてきた彼の心の中にどうしても昔の屈辱感が甦ってくるのであった。そこには古参の噺家が永年の非礼を詫びたとき,「俺は勝った!」と日記に書付けたときとは同列には処理できない心情があっただろう。

  斜視で出っ歯でひどく鰓のはった顔--そのために「高水の家系に悪い血が混じっているのではないか」と姉たちの縁談が幾度となく壊れ,一生に渡って「化けもの」、「ゲテもの」と嘲りを受けることになる醜い顔をもつ青年は座敷牢のような生活から逃れるため,実家の製糸工場の昼休みに女工を前にラジオで聞き覚えの歌や落語を披露して喜ばれた快感だけをよすがに柳家金語楼の弟子となるべく家出をする。
 禍福はあざなえる縄の如し。その顔のおかげで治男は金語楼との面会がかなう。普通ならば入門希望者を門前払いにする金語楼が,応対に出た弟子が伝える特異な顔容に好奇心がそそられたのである。金語楼への入門はかなわなかったが,彼の紹介で治男は三遊亭金馬に弟子入りする。
 落語界で最も弟子に厳しいという金馬のもとでの修行が始まる。しかし数々の失敗談,同僚や弟弟子との出会い,新宿の倡楼の女との恋など暗さはない。重苦しいといえば次々徴兵される若い噺家たちのこと。しかし弱視の治男には招集令状は届かない。まさに「塞翁が馬」である。

  辛いのは寄席と縁を切った金馬のもとにいる限り高座に上がって修行ができないこと。三年の修行を終え二枚目に昇進して三遊亭円歌の預かり弟子となり「歌笑」の名でようやく寄席に出られるようになった。しかし全く客に受けない。客がクスリとも笑わない。それは楽屋で「化けもの」と陰口をたたかれるよりも辛く,憂鬱な日々が続く。ある日歌笑はやけくそで高座に上がるなり一曲歌う。先輩噺家の鈴々舎馬風が飛び出してきて歌笑の襟首を掴んで楽屋に引きずり入れる。その一連の出来事に客は拍手喝采の大笑い。このときの喝采の再現を希求して歌笑はこの後試行錯誤を重ねて自分のスタイルを確立していく。そうして誕生したのが「歌笑純情詩集」である。

 なんと治男に召集令状が届く。日本はもうダメだと感じながら金馬夫妻は治男に嫁を取らせようとする。ようやく見つけた見合いの相手は寄席には行かず,したがって歌笑を見たことがないという松上三郎の娘。見合いの席で金馬夫婦と松上夫婦は驚いた。金馬夫婦は娘の美しさに。松上夫婦は治男の顔の珍妙さに。見合いは成功して治男は入隊前に無事結婚することができた。

 終戦直後の歌笑はまさしく時代の寵児であった。寄席やラジオに引っ張りだこ。人気は全国的になり寄席に彼の出番があると満員札止めになった。日劇のショーでは歌笑を一目見ようと建物を何重にも取り巻く長蛇の列ができる。しかし人気の絶頂は5年しか続かなかった。1950(昭和25)年5月30日,歌笑は銀座で進駐軍のジープにはねられ即死する。あまりにあっけない死であった。

 「三遊亭歌笑は敗戦後疲弊し、荒廃した日本人に笑いを提供するため突如現れた咄家だった。そして日本が経済的に立ち直る頃にその役目を終えたように一瞬にして我々の前から姿を消したのである。」ーしかし幸いにもその後に歌笑の系譜に連なる,そして私も覚えている柳亭痴楽と林家三平の活躍が続くのである。

 口うるさいながらも弟子をやさしく見守る師金馬,兄の照政,その他母親がわりのヒサ,茶店の老婆,公園であった野宿者などいろいろな人との交情が心を温める。しかし,それらの描写が歌笑の物語の最大のテーマともいえる歌笑への,それも顔を対象とした苛めの陰湿さ凄惨さを薄めたきらいがないでもない。とくに寄席芸人による針の蓆に座らされるような感覚を伴った苛めの実態を描いてほしかった。そうすることによって歌笑が晩年寄席を敬遠した理由もより鮮明になったと思う。

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